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色んな体質があります。
単に身体、人間としての体質から、個として公としての体質。 二人称になる事での変化、それらがまた社会的体質と複雑な関係の中で変化して行きます。 しかしながら、その末端は身体的な人間としての体質であるという事。 この事がとても重要な事で、実は問題は簡単なのではと思います。 でも、デュシャンが問題などないと言っていたのを思い出してしまいますね。 そういう事を考えると体質などないですし、全く何も重要ではないのかもしれないですね。 昨日も、 杉本博司さんの本を読んでいて、その事を再認識していました。 僕らにはレディメイド、またそのコピーしか残されていないのかと気づかされます。 でも、個人的にはちょっと違った方向があるとは思っています。 それを、可能性と言っていいのかどうか分かりませんし、それを単なる延命になる事だけは避けたいと思います。 さて、それがどういう形として表現出来るのか試してみようと思います。
by aki_miyagawa
| 2006-10-04 23:13
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